元田永孚の漢詩
元田永孚 中庸。 一応、承句と結句は押韻しているが、平仄はわりといい加減。 「去」がよくわからん。「さる」ではなく「ゆく」と読ませるようだ。 彼の作の中では詩吟などで好まれて、一番有名なようだが、そうとう若い頃の詩ではなかろうか。 幕末?
靄然聖意 こちらは押韻も平仄も割とちゃんとしているぞ。 明治10年、60歳くらいの頃の作。 この頃彼が起草した文章に教学聖旨 がある。だいたい同じような内容。
輓近専ラ智識才芸ノミヲ尚トヒ、文明開化ノ末ニ馳セ、品行ヲ破リ、風俗ヲ傷フ者少ナカラス
其流弊仁義忠孝ヲ後ニシ、徒ニ洋風是競フニ於テハ、将来ノ恐ルヽ所、終ニ君臣父子ノ大義ヲ知ラサルニ至ランモ測ル可カラス
こんなこと言ったらそりゃあ伊藤博文も怒るわな。
「教育勅語」が発布された明治23年には元田永孚は72歳というかなりの高齢であって、しかも最晩年であって、彼の意見が反映されていないとは言えないかもしれんが、あまり関係ない気がする。