パイプライン
ゼミ生が、学部四年間、大学院で二年間、みっちりと JavaScript を学んだとする。 それで、誰よりも(少なくとも私よりも)JavaScript を深く理解しているとする。 それを売りに就活にいくと、面接で、 では、Linux の管理はできますかとか、 C はできますか、と聞かれるらしい。 中小では一人で何でもこなさなきゃならないから、JavaScript のスペシャリストなんて来られても困る、 来ても彼の望む仕事を任せることができない、 ということであろう。
日本の中小企業はスペシャリストが不要なのではない。 スペシャリストを取りたくても、その人材を活かすことができないのだ。
では大手ではどうであろうか。 話を聞くに、海外と同様にパイプライン工程にしてあり、分業になっているから、 海外からの技術者が混ざりやすいという。 なるほど海外の技術者や中途採用のクリエイター、つまりスペシャリストを工程にアサインするには、 パイプラインになっていた方が良いに違いない。
では、新卒採用はどうするのかと聞くと、 新卒には技術は求めてないという。 だが新卒もパイプラインの中に配属されるのではないのか。 どんなキャリアパスで働いていくのだろうか。 謎は深まる。
パイプラインがどうこうという前に、また中小だか大企業だかと言う前に、 日本の企業はいきなり完パケなら完パケ、美術なら美術、コンポジットならコンポジットの仕事に回される。 そして三年間も五年間もずっと同じルーチンワークをやらされる。 仕事しながらクリエイターらしい仕事、ディレクターらしい仕事を覚える機会がない。 部署を移る機会が非常に低い。 どうしろというのだろうか。
うちのゼミのある卒業生はCGクリエイターになろうと思っていたのに、 毎日三年間ずっと字幕スーパーを入れる仕事をやらされて、 嫌になって辞めた、転職したと言っていた。 別の人にその子がかわいそうだなという話をした。 ところがこの業界、CGの仕事、特に字幕をやらされるというのは、 待遇としては悪くないという。字幕入れる仕事というのはどちらかと言えば、 職人さんの仕事としてはまだクリエイティブな方だという。
そりゃそうかもしれん。 この業界背景を描く人は一生背景を描く。 背景にアートを求められることはほとんどない。 ほんの一部の人を除いては。 ただひたすら背景を描く。 ただひたすら大道具をやる。 ただひたすら照明を当て、PAを組み立てる。 そんな業界なのだ。
まあいいや。映像業界のことを問題にしたいのではない。 プログラミングやWebの世界、3DCGの世界のことを言いたいのだ。 人材の流動性が低い。 人事的にスペシャリストを活かすように組織ができてない。 非常に非効率的である。
我々大学教員は世の中の役に立つ人材を育てたい、そのために教育を組み立てたい、 カリキュラムを構築したいと思っているのだが、 私から見ると今の日本の企業は、人材というものを非常にぞんざいに考えている気がしてならない。 会社に入るとどんな部署に回されるかしれない。 どんな仕事をやらされるかもわからない。 だから、芸術学部の学生は四年間、卒業してから役に立つ勉強というよりも、 一生悔いの残らないように創作活動や同人活動や作家活動をやったほうがまだまし、 という考え方にしかならざるを得ない。 非常に不幸なことだと思う。 作家活動することは人生にとって無駄にはならんと思うが、 それはつまり文系学部における教養教育と同じで、 結局大学における専門教育の否定に過ぎない。
てなことをこないだの某交流会で、企業の人たちの意見を聞いたりして思いを深めた。
世の中の人たちは大学教育が役に立たんというが、 大学教育が世の中に役立つようにするには企業の側が、 ある程度人事とか組織作りとかで努力してもらわんといかんのではないのか。 大学教育をうまく活用しようという姿勢がない。 大学教育というのは結局は社会のインフラだ。 社会のインフラ整備というのは、大学だけでできることじゃない。 実にむなしい。
私が経営者になっても、中小だったら、スペシャリストを採用するのは怖いだろう。 或いは自分の会社にちょうどあったスペシャリストを探してくるのに非常な努力が必要だろうと思う。 大手の企業の取締役であったとしても、 スペシャリストを活かすような人事や組織にしていくのは骨が折れるだろうなと思う。
たとえ取締役であっても、もらっている給料以上に働いてまで、組織を良くしようとは思わないかもしれない。そういう、やればやるだけ収入が増えていくポストというのが日本にはない。たぶん。個人の裁量でおもいきり働ける環境というのが日本の企業にはずっと無い。特に大企業には。