斗南先生

中島敦の比較的初期の作品で「斗南先生」というのがある。 斗南先生とは中島敦の叔父中島端のことで、この作品の中に出てくる漢詩もその叔父が作ったというものだ。

冒頭の詩は読み下し文から復元すると次のようになる。 雲海蒼茫佐渡洲。 やはり押韻はきちんとしているが平仄は完全とは言えない。

毎我出門挽吾衣。 これも悪くないが、平仄はかなりいい加減だし、「我」「吾」などわざと同じ意味の言葉を字だけ使い分けてたり、同じ字の反復が目立つ。

七言絶句なのに初句が押韻してない、いわゆる踏み落としだが、「微」と「支」は通韻なので、これはありか。 ていうか通韻珍しい。滅多にないよ。通韻いちいち調べるの面倒なので書いておく。

東冬江
支微斉佳灰
魚虞
真文元寒刪
先
粛肴豪
歌麻
陽
庚青蒸
尤
侵覃塩咸

今度使ってみようかな。

和歌も出てくる。幕末維新の武士みたいな歌だ。 ついでだから書いておく。

吾(あ)が屍(かばね) 野にな埋みそ 黒潮の 逆巻く海の 底へなげうて

さかまたは ををしきものか 熊野浦 寄り来るいさな 討ちてしやまむ

中島敦漢詩なり和歌は、少なくとも漢詩は親類の影響を受けたものだろうと思われる。 あまり平仄はやかましく言わない流派なのだろうと思う。 「吾が屍」の歌は町田四郎左衛門という志士の詠んだ歌

我死なば 焼きて埋めよ 野に捨てば 痩せたる犬の 腹を肥やさむ

に似ている。これはもともと小野小町の辞世(もちろん後世の偽作)

吾れ死なば 焼くな埋むな 野に晒せ 痩せたる犬の 腹を肥やせよ

を本歌とするのだろう。