紀要

紀要の〆切が今日なのだが、未練なく脱稿とする。

今回の研究はなかなか有意義だったと思う。 察しの良い人向けに一言で言えば「ウィキペディア編集履歴の周波数特性を解析し、 その低周波成分が「メインカルチャー」であり、高周波成分が「サブカルチャー」に分類できる」 ということである(ここで言う周波数解析とは比喩であって実際にフーリエ変換などの解析をしたわけではない)。 非常に重大な意味を持つ理論だが、このことに言及した人はまだいないのではないか。

ここでサブカルチャーとは人的にもテーマ的にも狭い範囲に隔離された文化という意味で、 江藤淳が言及した用法とほぼ同じだと思う(大塚英志サブカルチャー文学論」)。 隔離は進化を促進する。 突然変異は隔離されたコミュニティで発生する。 突然変異は好ましいものもあれば好ましくないものもある。 サブカルチャーで生まれた突然変異はメインカルチャーの中に取り込まれることで淘汰されて、 優れたものだけがメインカルチャーの中で生き残る。

このように考えれば、サブカルチャーメインカルチャーは相互補完的なものであり、 どちらが良い悪いというものではない。 江藤淳が、サブカルチャーに寛容であったことと、サブカルチャーの反映に過ぎない作品に批判的であったこととは、 このようなコンテクストで考えればわかりやすいだろう。 隔離や自己完結ということはまったくの没交渉ということを意味しない。少なくとも進化論的には。

編集履歴の周波数解析でメインカルチャーサブカルチャーが分類できるということは、 これまでのおおざっぱな分類よりもずっとこまかな個別の分類が可能であるということ。 アニメや漫画にも低周波成分が多いものはメインカルチャーというべきだし、 政治や文学と言った分野でも、コミュニティが狭い世界に閉じて世間一般から隔絶していれば、 それは明らかにサブカルチャーであろう。 メインカルチャーのふりをして明らかにサブカル的な研究ばかりしている連中もいれば、 メインカルチャーに大きな貢献をしているのに不当にサブカル的扱いを受ける人もいるということ (文学部唯野教授(笑)、いや大いなる助走か)。 またサブカルチャーは細分化されているためにその全体像が把握しにくかった。 しかし、ウィキペディアのデータ解析によってその濫觴から発展段階まですべてを一網打尽にできる。 すばらしいことだとは思わないか。

英語版にもサブカルチャーはある。 ただ、膨大な低周波成分の厚みに覆われているので、目立たないだけだ。 言語、宗教、人種などは数億人から数十億人の人口を擁しているので、 圧倒的な低周波成分を持つ。 しばしば国家よりも大きい。 英語版は低周波成分と同様に高周波成分も大きい。 日本版よりももっと大きなサブカルチャー、たとえばプロレスなどがある (巨大なサブカルチャーと言うと矛盾しているようだが、パワーの大きい高周波のスペクトルと考えれば妥当か)。 この理論はウィキペディアのすべての言語版に有効であり、言語間の比較にも使える。