髪の房の造形

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髪の房を押し出しで作ることはそれほど珍しい手法ではないと思うのだが、 ローポリのキャラクターモデリングというのは案外古い伝統的な手法を使うものであって、 blender の organic extrusion を使うというのは、 blender 2.4 からのことなので、それほど一般的ではないと思う。 髪の房はある程度ランダムな方がいいから今回 icosphere から押し出してみているのだが、 ここまでくるとおそらく私が最初に考えた手法ではなかろうかと思うのである。


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organic extrusion というのは従来の押し出しよりもずっと直感的で自在に押し出していくという意味の名前だと思うのだが、 確かに便利なのだが造形は難しい。 慣れるとさくさく作れそうな気がするのだが、 誰かに教えるのは難しそうだ。


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我々は意識的に、あるいは無意識のうちに、 二つの極端な生き残り戦略を採っていると思う。 一つは、これだけネットが発達した世界では、 物理的な実体を持つ作品を作るのは無駄であると。 物理的実体のある作品を作ってそれを写真に撮るなり動画にしてネットにアップするのは二度手間であると。 最初から仮想空間上に作品を作っていくのが一番効率的であると。 そうすれば24時間365日世界中の人が見に来てくれると。 私などはこちらの考え方に近い。 というより、世の中は必ずそちらの方へこれからいくのに違いない。 逃げたりもたもたしているくらいならさっさとそっちへ行きたい。

しかるに、ネットはあまりにも広大なので、 ただネットに公開しただけでは情報の海の中に埋もれてしまう。 それを本能的に恐れる人たちもいる。 物理世界というニッチな空間で、 直接人と人が出会う場に作品を展示したがる人たちがいる。 その考えはわからなくもない。 河口洋一郎もそんなことを言っていた。 彼は1980年代というCGの黎明期にCGをやって有名になった人だが、 時代が彼に追いついてしまうと、彼はその膨大なCGの世界に埋もれてしまう。 一人の先駆者として奉られ、過去の人になってしまう。 そこで彼は自分の作品を彫刻にするようになった。

彼の戦略は明確だ。 若い頃はまだ誰も手をつけてない、新しいことに挑戦した。 今は、過去の遺産を活かしつつニッチな世界で生き残るということだ。

私はただ単にニッチが嫌いだ。 新しい、未知の可能性があることを研究者は好む。 手垢の付いたテーマは金を持つ企業がやることだからだ。 研究者はそれを「開発」と呼び嫌う。 ところが世の中には単に競争の少ないニッチな分野のことを研究と呼びたがる人もいる。 それを「衒学的」とか「(実学に対する)虚学」などということもある。 それをブルーオーシャンと呼ぶ人もいる。 ニッチやブルーオーシャンを狙うのは別に良いのだが、 私はいつまでもマイノリティでいるのは嫌だ。 絶対にマジョリティにはなれないところ、既に伝統芸能となりつつあるところにとどまるのは嫌だ。