xbox360コントローラを分解してみた。

7za x 走らせるとload averageがいきなり8になるのはどういう仕様なのかと。

ソニーのポータブルDVDプレイヤーは多少値が張るがいたれりつくせり。 ベッドで寝ながらみたり。 再生も安定している。多少傷がつくとDellのノートPCだと止まるところが、 ソニーだとみれる。

vineanthyってけっこう使えるよな。 fedoraよりおりこうさんなきがするのは気のせい?

例のjawiki-meta解析はやはりも少しやってみて紀要くらいにはしようかと。

cyclerに声エフェクトつけて町田展に出したい。 できればxbox360コントローラ改造したデバイスもつけたいが、 まぁ、間に合わんな。 気長に。 トルクをアナログ入力(float値で0から1までとか、-1から1までとか) できるデバイスってなかなか無いよな。 しかしxbox360コントローラならわずか4000円で購入可能。 しかも、振動用のモータを2個内臓してるから、 モータもアナログ値(これまたfloatで0から1までとか)で制御可能。

モータの回転速度をアナログ制御する装置作ろうとしたらたいへんなんだよなあ。 0と1の2値なら簡単だけど、連続に制御するのは難しい。 でもxbox360コントローラならできそうな雰囲気。 しかも開発環境はXNA。 すばらしいじゃないか。 たまにはメディアアートみたいなことやってみるか(笑)。 モータは同じのが二個ついてて、 重りが軽いのと重いのがそれぞれついてる。 それで小さな振動と大きな振動が作れる。

xbox360コントローラを分解してみた写真も撮ったがうまく接写できなかったんで、 のせてない。というか、ネットで検索するとわらわら出てくる。 十字キーを改造するのがはやりらしい。 今のとこデバイスとして改良している人はいなさそうだな。 まぁ、メディアアートやってる人って基本MacWiiだからな。 XNAメディアアートやる人っていないだろ。ある意味盲点だ罠。 実はXNAってなんでも出来るんだよな。 さすがにシンセとかmidiとかは弱いだろうけど。 カメラ制御はすでにC#できるし。 C#でできることってけっこう多いよな。 Project NatalとかXNAでできるようになるとすごいんだけど。 ていうか仮にコンシューマ機がぽしゃっても(笑)、 XNAってそっちのほうで十分生き残れると思うんだがなあ。 コンシューマゲーム産業に比べてかなりニッチではあるがな。

ていうか、「わらわら」変換したら「゛笑笑」になった。 すげえじゃんanthy。 ふーむ、vine5でもfedora11でも変換できるな。 一部だけatokよりすごい。 かなり使えるようになってきたanthy

linuxだと、スリープからの復帰がデスクトップだと電源ボタン、 ノートだとキーボード、が仕様か。 vistaだとデスクトップPCのUSBキーボードでもスリープから復帰できるが、 USBマウスはしばらく無反応。

okkyがピーターの法則について書いているが、 元の法則から「「自分がまだ知らない知識について、必要であることがわかった」と言うことは もう手遅れだ 」が導かれるかどうか、納得し難いが、 言っていることはあってると思う。 まず元のピーターの法則についてだが、組織は、勤労意欲を出世という報酬によって引き出そうとするから、 割と気前よく出世はさせたり、部下をもたせたりする。 その結果、平であれば有能であったかもしれない人材を、無能な管理職のポストにつかせたりするのかもしれない。 要するに出世とは単にモチベーションの与え方の一形態だということを言ってるだけだわな。 あとこれは、「高度に組織化され管理された能力主義社会」のことを言っているのであって、 例えば幕末に脱藩した志士、などには当てはまらないということだよな。

それはそうと、必要だと気づいたときにはもう手遅れ、ということはプロの研究者でもよくおかす間違い。 必要だかどうだかわからず手探りしている状態が、あとから考えると一番クリエイティブな時期だったりするが、 それはあとから自分を客観的に観測するからそう言えるわけで、 その当時で必要であるかどうか判断がつくことはない。 逆に、これは必要で重要だから夜も寝ないで頑張るぞ、というやり方は、 見た目かっこいいし自分にも酔えるが、多くの場合無意味だってことだな。 過去の自分を観察して出せる結論としては迷ってる自分は概ね正しく、 決断している自分はたいてい間違っている、ということくらいだ。

さらに余計なつけたしを書くと、 少なくともプログラミングに関しては 「必要だと判ってから学習して間に合う」は当てはまらない。 例えば学部四年生になって卒業制作の企画を考えていて自分の作品に高度なプログラミングが必要だと気づいたときにはもう間に合わない。 一年生のときにから意味もわからず勉強してきた人だけが、四年生でプログラミングを駆使した制作ができるだろう。 そういう意味では、プログラミングの学習には、英語や歴史の暗記とか、漢文の素読のような要素がある。 タンカーは図体がでかすぎて、10km手前から舵をきらないと曲がれないそうだ。 地球の重力圏を脱出するには三段ロケットが必要で、一段ロケットでは無理だ。 そういう、一見目的とは無関係なような手順を踏まないとプログラミングは身につかない。 それから、プログラミングにはどうしても適性というものがある。 この適性というものは、デザインや芸術の世界でいう感性に近いものかもしれない。 ある程度適性があれば直感で理解できるが、 直感に頼れない場合には、何百ページものマニュアルを読み何十時間もの授業を受けて、苦労して理解しなくてはならないが、 それだけの苦労をしてほんとうに理解出来る保証もない。 ほんとうのところを言えば、大学受験する前に一通り自分にプログラミングの適性があるかどうか、確かめておいてもらいたいのだが。

思うに、飛行機だと飛び越せるところも歩兵ならば土木工事で橋を架けないと渡れない。 プログラミングの教育というものは、 自分がかつて飛んで渡ってきたところに戻って順々に大規模な土木工事をやっているようなもので、 果てしない労力が必要になる。 直感とは空を飛ぶ能力のことであり、その能力無しでは、渓谷を越えるのは、不可能ではないかもしれんが、恐ろしく手間がかかる。