ふと思ったこと(紀要の草稿代わり)。

聖書学の本など読むと初期の今日には伝わってない書簡や語録などからどうやって福音書などができあがっていったかとかいろいろ書かれていて面白いのだが、 方やWikipediaに関しては、過去の履歴というものが完全な形で残っているので、 どの文書がどのように成立していったかということは、一切「仮説」を使わずにすべて「事実」として処理できる。 もちろんすべて記録されていると言ってもそれはダンプファイルとして保存されているという意味であり、 ダンプファイルはただのデータの羅列、それも膨大な塊であるから、それを解析しないことには何も有益なことは見えてこない。 ただ、あとで、あれこの編集ってなんか変だな、と思ったときに過去からすべての履歴を調べられる。 するとどういう意図でどんな編集がなされたか、またその人は他にもどんな編集を行ったのかなどがすべて露見するわけだ。

聖書学などに使われる分析手法はどこでどんな改竄や編集が行われたかを推測するためのもの (正文批判、本文批評、textual criticism、Textkritik、etc)なわけだが、 wikipediaの場合改竄されてもその記録は残っているわけで、そういう意味では聖書学的手法はwikipediaの分析にはあまり役に立たないかもしれん。 しかし、「wikipediaダンプデータに対する聖書学的 textual criticismの厳密な適用と可視化」ということには若干の意味があるのではないか。

古代においては読み書きの出来る人、リテラシーのある人、文盲ではない人というのはほとんど居なかった。 当時読み書きできる人というのはだいたいマルチリンガルな人という意味であり、 外国語(その当時の de facto standardな国際語)を読んで書ける人という意味で (古典的日本だと漢語が読める人ということで)、 今と違ってほとんど居なかった。 何か出来ごとが発生してもその場に実時間で記録できる人がいない。 したがってどうしても文書化されるまでに何十年もの時間差ができる。 直接立ち会った人に取材したのならまだ良いが、相当に流布した後の民間伝承を単に記録しただけだったりする。 そういうものは軍記物や御伽草子と同じで必ずしも史実ではなく脚色が入り込む。 筆写していく過程でどんどん改訂・追加される。 まったく見たことも聞いたこともないことまで追加される。 日本も平家物語の時代まではだいたいそう。 鎌倉時代になると幕府の正史に相当する吾妻鏡と平行して公家の日記などが残っていて、 やっと「複数の文献を比較」できるようになる。そうすると史料ごとに言ってることがてんでばらばらなので余計に歴史がややこしくなる。 こうだと断定できなくなる。 平家物語より前の歴史が異様にシンプルなのは史料が圧倒的に不足していて、 後世の人が適当につじつまがあうように補完したからだといえなくもない。 歴史というのは太平記応仁の乱のように実際にはひどくごちゃごちゃしているのだが、 記録する人が多ければ多いほど歴史はわかりにくく、 後世の人が改竄すればするほどすっきりわかりやすいというだけのものかもしれない。

古代と同様近世でも、文書の執筆には膨大な時間がかかるし、執筆者が多数になることもある。 ただ近世から現代の場合は文責はほぼはっきりしている。 まあゴーストライターなどもいるわけだが、その問題はおいておくとして。 だが長い長い執筆の過程でどこの文書がどのように推敲されて変更されていったかは、 出版したあとではもう何もわからない。 著者が死んだらまあわからない。 もちろん、聖書学的な分析によってある程度はその成立過程を再現できるかもしれんが、 まあ要するにわからないということ。 また、一次資料から書籍が出るまでにはいろいろな捏造が行われる可能性は今でもある。 捏造部分が増幅され拡大再生産されることはよく有ること。 自分が読みたいと思う部分だけが強調され、読みたくない部分は隠蔽され捏造されていくからだ。

ところがwikipediaだとすべての事象はほぼ実時間で書かれていく。 一次資料は何かとか、そこからどういう編集が行なわれて現在の版に達したのかがすべて記録に残っている。 そして執筆者が世界中に何百万人も居る。 さらにすごいことは聖書学的分析が、執筆された直後から可能だということ。 リアルタイムで執筆してリアルタイムで編集履歴が蓄積され、分析されていく。 計算機の力を借りて。 これはすごいことだ。 しかもまだそんなことが始まってから10年経ってない。 これからどれほど発展するかもわからない。

バージョン管理システムというものは、まあ、私はあまり使ったことがないのだけども、 プログラミングの世界ではすでにかなり当たり前だったのだが、 文書の執筆でもこれからは当たり前になるんだろうね、ってそんな感想ですか。